成人研修講師に突き付けられた課題

はじめに

『変革を生む研修デザイン―仕事を教える人への活動理論』(ユーリア・エンゲストローム著;2010鳳書房)の内容をベースとして研修講師としての考え方・心構えを書き綴っていきます。

変革を生む研修のデザイン―仕事を教える人への活動理論

変革を生む研修のデザイン―仕事を教える人への活動理論

 

 

 この書籍の主題事項は下記の通りである。

さまざまな組織において、教育を計画し、成人や若者を教えることに従事している人たちのためのガイドブックである。とりわけ、人材開発や研修のニーズに応えることに念頭を置いて書かれている。指導(ティーチング)というものは真剣に取り組むべき問題だという認識が、本書の出発点となっている。(序論:p3) 

  単なる教授技法のhow to本ではない。研修に講師向けに特化した書籍は多数出版されているが、そのほとんどが著者の経験論に基づいていたり、単なるツールの紹介にとどまっている。現在、国内で入手可能な書籍のなかで、原理から方向づけまで体系的に整理された書籍は本書だけである。研修講師として一皮向けたいとお考えの方には避けては通れない書籍である。何事にもそうであるが、差別化やオリジナルのブランドは厳しさや困難を試行錯誤によって乗り越えることによって始めて確立される。よって、本書は難しい。難しいからこそ、それを乗り越えることで真の力が養成にされることになる。

このことをエンゲストロームは次の言葉で表現している。

教授(インストラクション)の質は、一風変わった芸当や技術的な方法に頼って高めることなどできない。必要とされるのは、学習や教授への理論的な洞察である。 

 このブログでは、難解な『変革を生む研修デザイン―仕事を教える人への活動理論』のガイド的な役割を果たしていく目的で構成していく。

教育とは研修とは

 普段何気なく使用している言葉に対し、しっかりとした定義づけを行っているだろうか。言葉には解釈によって様々な定義が存在する。そのため、コミュニケーション不全が生じる要因のひとつでもある。しっかりと考えに根を張るためにも、何気なく使用してる言葉の定義づけしていくことが重要になる。

 まず、研修の意味を考える上で段階を追って意味を整理していきたいと思う。最初の出発点となる言葉は社会化である。社会化とは、人が社会の成員として人間が発達のことをいう。(下図は社会化の概念を図示したものである)

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 社会化には二つあり、一つが無計画で自発的な発達で、二つ目が意識的で目標志向的の発達である。そして、意識的で目標志向の発達を促すのが教育である。それでは、研修はどのような位置関係にあるのだろうか?(研修の概念を図示したものが下図である。)

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研修の実情と問題点

 研修は意識的で目標志向の発達を促すという教育の概念のカテゴリー内にあり、教育をさらに具体化したものとなる。仕事という文脈に置き換えると、さまざまな経済部門の労働力を生み出すことをめざした教育である。研修は明確な目的が必要であり、ただ儀礼的に実施するものではないということがわかってくる。しかし、成人の職業研修には儀礼的イベントとして発生せざるおえない現実的な理由がある。その理由をエンゲストロームが提示している成人の職業研修の特徴から読み取ることができる。(一部抜粋;一部改変)

    1. 研修は、教授を主たる仕事としていない専門家によって計画され、実施される。 よって、教育科学や行動科学を学んだことのある人はごく限られている。
    2. しかし、一方で、教える主題のエキスパートであるから、教授の内容に関連した、多くの経験、概念的な精通、見識のある意見などは、手に入れやすい。
    3. 教授は一般に、はっきりした仕事上のニーズや組織の問題のあるところで行われるので、実践上の結果や応用が求められる。
    4. 仕事実践と関連性は学習への強い動機づけを与える。
    5. 短いコース期間では、受講者が1人で自由に扱えるほど題材について内化できないかもしれない。これが仕事実践での応用を妨げることにある。
    6. 研修で扱われる事項は、しっかりした研究にもとづく知識がなかったり、さまざまな対立する意見があったりするようなトピックが扱われることが多い。教授については、このことが本質的な原理の提供や応用を難しくする。

 このように成人の職業研修には、様々な特徴や問題点をはらんでいるために儀礼的なイベントに陥りやすい。1については、講師業を生業としている者にも言えることである。提供するするツールなどには精通していても、教育科学や行動科学を学んだことのある者は少数派ではなかろうか。3の特徴によって外部講師が提供する教授コンテンツが脱文脈化現象を引き起こす。そして、5が研修の儀礼的イベント化の最も大きい要因である。また、6のように研修において、様々なツールや概念が日進月歩に生まれ提供されている。成人の職業研修の特徴でもあるが、研修は教授コンテンツの流行り廃りを受けやすい環境下に置かれている。

 エンゲストロームはさらに厳しい指摘をする。

教授活動の質は個々人の経験をベースとしていては大きく向上しえない。経験を体系的に計画・評価・記録・交換・一般化するためには共通の言語が必要なのである。
この共通の言語を開発する際にに教授の理論についての知識が前提となる。したがって、多様な教授場面で使えるさまざまな指導法を集めるのでは十分ではない。講師は、教授についての一般的な原理から自分なりの教える解決策を引き出し、作り上げる能力を持つべきである。

 仕事の実践における問題を解決する手段として様々なツールがあってしかるべきだと思う。ツールを実践の中で生きたものとするためにも、土台としての教授理論をしっかりとおさえるべきである。そうしなければ提供するツールや講師が支持している考え方は上滑りし研修は形式的なものになってしまうだろう。研修に対する批判は、まさしくこの点に要因があるのではないだろうか。

 このブログのシリーズの目的は、エンゲストロームが次に主張していることと重なる。

理論的に考えることのできる講師を訓練し教育する必要があるのである。

ひいては、理論的に考えることができることで講師の差別化やブランド化が確立できるのではないだろうか。