「わざ」の大切さ—新入社員研修をむかえて

新入社員研修の時期がやってきた

 毎年の恒例行事ともいえる新入社員研修の時期がやってきました。それとも僕自身、今年度は4月の新入社員研修には登壇せずオブザーバーという形で参加します。登壇は10月になります。
「オブザーバーとは大したご身分ですね~」と言われそうですが、一応僕もカリキュラム編成に関わってしますのでそのチェックを兼ねた小間使いにすぎません。しかし、僕たちの講師業の世界も「わざ」の世界だなとつくづく痛感させられます。よく議論の俎上にあがるネタとして、
「講師に必要なものは知識か経験か?」がありますが、僕自身、このような紋切り型・二元的に整理をしたくはなく、「わざ」という言葉がピッタリくるかなと考えています。そう、「わざ」です。大相撲でいうと「上手投げ」、柔道では「大外刈り」みたいなやつ。
相撲経験者に、

「わざを決めるとき何か意識してやっているんですか?」と聞くと

「わざが決まるとき意識なんかしてねーよ。『上手投げ~』なんて頭ン中で意識していたら手に隙を与えることになるからね。タイミングよタイミング!!感覚よ感覚!!」

 おおー、暗黙知の世界だとつくづく思うのでありました—ついつい術語を使いたくなる。職業病ですな。
ちなみに暗黙知とは

我々は語ることができるより多くのことを知っている。

ふつう我々は、これらの要素的な諸活動を明確に語ることはできない。
                                                                                                                             (Polany,1966)

 つまり、綺麗な上手投げを打った時、相手廻しをどの位置をとって、自分の重心をどくらい下げて、相手の重心がどの位置にきたときに投げを打つと綺麗な上手投げが打てるのか、ということを打った本人も具体的な言葉で説明できないものです。だから、タイミングや感覚などのものすごく抽象的*1な言葉でしか説明できないのです。

 

暗黙知の次元―言語から非言語へ (1980年)

暗黙知の次元―言語から非言語へ (1980年)

 

 

僕たちも、「リズミカルに説明ができる」「状況にドンピシャな質問を打てる」「ナイスなタイミングで席替えをする」「ワークを時間設定をタイミングよく行う」「効果的なジェスチャーを使う」等々があげられるのですが、もしこれらについて

「なぜ、うまくできるですか?」

と聞かれても、

「慣れですよ、慣れ(エヘヘ・・・)」

としか答えるしかできない。

こういう応答だと、寅さんよろしく「講師がそれを言っちゃあーおしめーよ!!」というお叱りのお言葉を矢のように浴びることでしょう。でも、これが「わざ」や「暗黙知」の真髄です。だから、上手いなと思う先生は肩の力が抜けていて、リズミカルに、ナイスなタイミングで研修を展開されています(←これもどこがどうだから肩の力が抜けているのかということを明確に言葉で説明することはできません)。結果として受講者と一体化し「場」づくりが成功されています。多分、テキストに書かれていることやノートにまとめたものをその場その場で参照してもうまくいかないでしょう。肩の力が抜けてリズミカルに見えるというのは、まさしく「わざ」のなせるものだと思います。
「わざ」については、次の書籍を参考にしてください。特に、生田先生の『「わざ」から知る』はこの分野における名著中に名著。人に「教える」お仕事をされている方は、読んでください。読んでね。ぜひ読むべし。

 

「わざ」から知る (コレクション認知科学)

「わざ」から知る (コレクション認知科学)

 

 

 

 

新入社員がなぜ違和感を感じるのか

 学校を卒業した生徒や学生が、もう辞めたというニュースを耳にします。初日で辞めたという猛者もいるようです。「学校」という文脈から「お仕事をする場」という文脈に移るので違和感を感じることは無理もないでしょう。つまり、今まで野球に慣れ親しんだ人がサッカーのピッチに立たされることと同様です。この違和感を解消する方略は参考書に書いてありません。絶対解もありません。
じゃ、どうしたらいいの?

「とにかくやってみる」

「わざ」習得の世界でもまずは模倣。意味を考えずにとりあえず模倣。上司・先輩、または講師から言われたことを模倣する。これにつきます!。社畜養成ではないかとお叱りを受けると思いますが(お叱り結構)、仕事における「わざ」を習得するためには、スポーツと一緒で反復練習をして体に覚えさせることが重要。そもそも疑問に思うのは、伝統芸道やスポーツでは模倣や基礎の反復練習が重視されているのに、なぜ仕事のスキルも同列に扱わないのだろうか、ということです。仕事の文脈でも一般的に「職人さん」と呼ばれる人だけ孤高の存在として別格で扱われ伝統芸道などと同列に扱われているけど、どんな仕事でもそれ独自の「わざ」があります。
 「わざ」習得に必須な模倣の段階で、やっていることの意味や仕事の意味を考えようとするから、研修やOJTでの課題がアホらしく思えてきます。

新入社員の組織社会化プロセス*2において、現在の仕事に不適応感を抱いている者ほど、積極的に今の意味づけを行う(大庭さよ・藤原美智子、2008)

という研究結果もあります。

最後に

「やる前からは意味はわからない。本気でやってからこそ意味が自然とわかってくる」
というメッセージをすべての新入社員さんに送りたいと思います。

参考文献

大庭さよ・藤原美智子2008「学び」の場から「働き」の場へ ある一企業社員のインタビュー調査からカウンセリング研究,41,108‐118.

 

 

 

 

*1:人それぞれの前提やリソースによっていろんな解釈が可能ですよという意味

*2:新人が入社して特定の組織のスキルや価値観を習得していくこと

講師に求められるスキル

はじめに

成人研修では、ティーチング手法を外的と内的を分ける必要がある。「外的」と「内的」概念は、このシリーズでは大変重要である。多くの職業研修講師は「外的」にスポットを当てられているのではなかろうか?

変革を生む研修のデザイン―仕事を教える人への活動理論

変革を生む研修のデザイン―仕事を教える人への活動理論

 

  次の文章と一連のやり取りをご覧いただきたい

 あるコースが終了し、その成果を評価する段になったとき、次のような意見が出された。
 講師のN先生はプレゼンテーションに関してコース参加者から一番よい評価を受けた(コースには6人の講師がいた)。だが、数週間後、参加者が学んだことを理解・応用する能力についてチェックしたとき、コースの他の回と比べて出来が最も悪かったのはまさにN先生が教えた内容であったという。
 このような不一致はどのようにして起こりうるのだろうか。
 この質問を研修に関わる人々に投げかけると、通常、次のような答えが返ってくる。

  1. たしかに講師Nはおもしろい人で、よいプレゼンテーションをし、冗談を言う人だったが、彼の魅力やプレゼンテーションの方法は実は見せかけだった。
  2. 講師Nは自分の扱う主題について十分にわかっておらず、全体像を示すこともできなかったが、人目を引く手段によってその穴を埋めた。
  3. おそらく講師Nは興味を引く楽しそうな細部を強調し、本質的なことがらは明確に示さなかった。
  4. 講師Nは、本当は指導すべきところを楽しいグループワークやディカッションに当ててしまい、そこからは何も新しいことが1出てこなかった。
  5. おそらく講師Nは、説得力のあるやり方でプレゼンテーションをしたのだろう。しかし、特定の分野の言葉で話したため、参加者は彼をすばらしい専門家だと思いはしても、何を言っているのか本当のところは理解できなかったのではないか。
    (エンゲストローム, 2010, pp. 10~11)※一部編集 

 研修は上手くいったように感じても、理解・応用度もそれに対応して高まるということは決してないのである。引用部分の1~5を要因1~5とする。

安易な研修後アンケート

 研修後に実施されるアンケートのサンプルを下に挙げてみる。 

          研修受講後アンケート

質問1.今回の研修はいかがでしたか?
 ⑤大変有意義だった ④有意義だった ③わからない 
 ②不満足 ①非常に不満足

質問2.研修受講により理解は深まりましたか?
 ⑤大変深まった ④深まった ③わからない 
 ②あまり深まらなかった ①深まらなかった

質問3.配布資料の内容はいかがでしたか。
 ⑤大変良い ④良い ③わからない ②悪い ①非常に悪い

質問4.講師の進行・説明はいかがでしたか。
 ⑤大変良い ④良い ③わからない ②悪い ①非常に悪い

質問5.研修内容は今後の仕事に活かせると思いますか
 ⑤大いに活かせる思う ④いくらか活かせると思う ③わからない
 ②ほとんど活かせないと思う ①全く活かせない思う

質問6.研修環境はいかがでしたか。
 ⑤大変良い ④良い ③わからない ②悪い ①非常に悪い

質問7.研修時間はどうでしたか?
 ⑤長すぎる ④長い ③適度 ②短い ①短すぎる

 このようなスタイルのアンケートは概ねどの研修でも使用される。受講者の反応を確認するためにも受講後のアンケート実施は必須である。しかし、講師はこのアンケート結果がよかったとしても、決して満足はしてはならない。もし、アンケート結果が講師に対する評価のすべてだと思ったら、どうしても研修スタイルは要因1、3、4を強化するようなものになる。このことは、受講者との関係をよいものとするためには効果があるが、よい学習を保障するとは限らない。

外的要因と内的要因

 エンゲストロームはティーチング技法を「外的」要因と「内的」要因とに区別している。エンゲストロームによると「外的」とは

指導の最中に行われる直接目に見えることがら  

(エンゲストローム,2010, p11)

と定義している。これは講義、グループワークなどの直接行動が観察可能な教授形式である。しかし、外的要因にとらわれると学習内容よりも受講者の表情や反応に対して過度に意識してしまい、見せかけのプレゼンテーションや人目を引く手段のみに頼ってしまうことになりかねない。そこで講師が外的要因に頼ってしまう要因として、

学習とは、受講者が主題事項を理解しようと努力する能動的で構成的な意味生成のプロセスである、という見方が計画・実行する人々に欠けているという事実である。(エンゲストローム,2010, p12)

と、エンゲストロームは喝破している。太字で書かれた「構成的な意味生成プロセス」について、エンゲストロームは概念を説明していないが、私はこの意味を、「受講者の所有している知識や過去の経験に主題事項を照らし合わせて、構造的な因果関係を理解することで主題事項の本質的な意味を理解する認知プロセス」というように解釈する。例えば、今まで分からなかったことやできなかったことが、主題事項が接着剤の役割を果たすことで分かるようになったり、できるようになったりすることである。そして、エンゲストロームは「内的」要因の重要性や目的を次のように指摘している。

指導の内的要因の理解や促進は、学習とは構成的で意識的な長期にわたる心的活動である。という考えに基づいている。受講者の頭の中で何が生じるかのほうが、受講者が外的にどう反応するかよりも重要である。指導の課題は、受講者の能動的な心的活動を駆動し、養い、方向づけることにある。(エンゲストローム,2010, p13) 

 

内的要因を充実させるには

 エンゲストロームが指摘するように内的要因が研修を実施する際に重要であるとするならば、講師はいかにして内的要因を高めていけばよいのだろうか?
 エンゲストロームは次のように指摘している。

主題の教授事項は、教科書やテキストから取り出された単なる死んだ題材として見なしてはいけない。そうではなく、うわべは凍り付いているかにみえるテキストの奥底に見いだされる、原理、構造、そして複数の視点の間の議論として解釈しなければならない。教授方法は、単にやりとりの形式や技術的配列(講義、グループワーク、自学課題など)として考えてはいけない。そうではなく、指導の各段階での課題と目的は、複雑な学習サイクルの中の1ステップとして明確に位置づけられなければならない。

 (エンゲストローム,2010, p12) 

 内的要因を高めるために講師がまず行わなければならないことは、教える事項の徹底した理解である。徹底した理解とは、ただ単にテキストや教科書に記載されている概念を字面だけを押さえるのではなく、概念が形成された背景や概念の下にある要素、そして要素間の相互関係を理解しておく必要がある。(下図は潜在意識と顕在意識の概念の比較で使われるメタファーである氷河の図を利用し概念と要素の関係を図示したものである。)

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 外的要因は必要か?

 内的要因の重要性を指摘してきたが、それでは外的要因は必要でないのだろうか?答えは否である。当然、外的要因も重要であるが、あくまでも内的要因と比較すると二次的なものである。外的要因がまずければ(講師のプレゼンテーションスキルが低い、ワークのファシリテーションスキルが低い等)、内的要因をしっかりと考えて構成して研修に臨んでも学習の進歩は限られている。講師に求めれらるスキルの位置づけを図示すると下図のようになる。外側のプレゼンテーション・スキル、組織化スキル、対人関係スキル、テクノロジー・スキルが外的要因である。そして、内側の内容の習得、教授・学習の理論、講師の倫理が内的要因である。職業研修講師は内的要因スキルを中心として外的要因スキルも高めていかなればならない。

 

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成人研修講師に突き付けられた課題

はじめに

『変革を生む研修デザイン―仕事を教える人への活動理論』(ユーリア・エンゲストローム著;2010鳳書房)の内容をベースとして研修講師としての考え方・心構えを書き綴っていきます。

変革を生む研修のデザイン―仕事を教える人への活動理論

変革を生む研修のデザイン―仕事を教える人への活動理論

 

 

 この書籍の主題事項は下記の通りである。

さまざまな組織において、教育を計画し、成人や若者を教えることに従事している人たちのためのガイドブックである。とりわけ、人材開発や研修のニーズに応えることに念頭を置いて書かれている。指導(ティーチング)というものは真剣に取り組むべき問題だという認識が、本書の出発点となっている。(序論:p3) 

  単なる教授技法のhow to本ではない。研修に講師向けに特化した書籍は多数出版されているが、そのほとんどが著者の経験論に基づいていたり、単なるツールの紹介にとどまっている。現在、国内で入手可能な書籍のなかで、原理から方向づけまで体系的に整理された書籍は本書だけである。研修講師として一皮向けたいとお考えの方には避けては通れない書籍である。何事にもそうであるが、差別化やオリジナルのブランドは厳しさや困難を試行錯誤によって乗り越えることによって始めて確立される。よって、本書は難しい。難しいからこそ、それを乗り越えることで真の力が養成にされることになる。

このことをエンゲストロームは次の言葉で表現している。

教授(インストラクション)の質は、一風変わった芸当や技術的な方法に頼って高めることなどできない。必要とされるのは、学習や教授への理論的な洞察である。 

 このブログでは、難解な『変革を生む研修デザイン―仕事を教える人への活動理論』のガイド的な役割を果たしていく目的で構成していく。

教育とは研修とは

 普段何気なく使用している言葉に対し、しっかりとした定義づけを行っているだろうか。言葉には解釈によって様々な定義が存在する。そのため、コミュニケーション不全が生じる要因のひとつでもある。しっかりと考えに根を張るためにも、何気なく使用してる言葉の定義づけしていくことが重要になる。

 まず、研修の意味を考える上で段階を追って意味を整理していきたいと思う。最初の出発点となる言葉は社会化である。社会化とは、人が社会の成員として人間が発達のことをいう。(下図は社会化の概念を図示したものである)

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 社会化には二つあり、一つが無計画で自発的な発達で、二つ目が意識的で目標志向的の発達である。そして、意識的で目標志向の発達を促すのが教育である。それでは、研修はどのような位置関係にあるのだろうか?(研修の概念を図示したものが下図である。)

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研修の実情と問題点

 研修は意識的で目標志向の発達を促すという教育の概念のカテゴリー内にあり、教育をさらに具体化したものとなる。仕事という文脈に置き換えると、さまざまな経済部門の労働力を生み出すことをめざした教育である。研修は明確な目的が必要であり、ただ儀礼的に実施するものではないということがわかってくる。しかし、成人の職業研修には儀礼的イベントとして発生せざるおえない現実的な理由がある。その理由をエンゲストロームが提示している成人の職業研修の特徴から読み取ることができる。(一部抜粋;一部改変)

    1. 研修は、教授を主たる仕事としていない専門家によって計画され、実施される。 よって、教育科学や行動科学を学んだことのある人はごく限られている。
    2. しかし、一方で、教える主題のエキスパートであるから、教授の内容に関連した、多くの経験、概念的な精通、見識のある意見などは、手に入れやすい。
    3. 教授は一般に、はっきりした仕事上のニーズや組織の問題のあるところで行われるので、実践上の結果や応用が求められる。
    4. 仕事実践と関連性は学習への強い動機づけを与える。
    5. 短いコース期間では、受講者が1人で自由に扱えるほど題材について内化できないかもしれない。これが仕事実践での応用を妨げることにある。
    6. 研修で扱われる事項は、しっかりした研究にもとづく知識がなかったり、さまざまな対立する意見があったりするようなトピックが扱われることが多い。教授については、このことが本質的な原理の提供や応用を難しくする。

 このように成人の職業研修には、様々な特徴や問題点をはらんでいるために儀礼的なイベントに陥りやすい。1については、講師業を生業としている者にも言えることである。提供するするツールなどには精通していても、教育科学や行動科学を学んだことのある者は少数派ではなかろうか。3の特徴によって外部講師が提供する教授コンテンツが脱文脈化現象を引き起こす。そして、5が研修の儀礼的イベント化の最も大きい要因である。また、6のように研修において、様々なツールや概念が日進月歩に生まれ提供されている。成人の職業研修の特徴でもあるが、研修は教授コンテンツの流行り廃りを受けやすい環境下に置かれている。

 エンゲストロームはさらに厳しい指摘をする。

教授活動の質は個々人の経験をベースとしていては大きく向上しえない。経験を体系的に計画・評価・記録・交換・一般化するためには共通の言語が必要なのである。
この共通の言語を開発する際にに教授の理論についての知識が前提となる。したがって、多様な教授場面で使えるさまざまな指導法を集めるのでは十分ではない。講師は、教授についての一般的な原理から自分なりの教える解決策を引き出し、作り上げる能力を持つべきである。

 仕事の実践における問題を解決する手段として様々なツールがあってしかるべきだと思う。ツールを実践の中で生きたものとするためにも、土台としての教授理論をしっかりとおさえるべきである。そうしなければ提供するツールや講師が支持している考え方は上滑りし研修は形式的なものになってしまうだろう。研修に対する批判は、まさしくこの点に要因があるのではないだろうか。

 このブログのシリーズの目的は、エンゲストロームが次に主張していることと重なる。

理論的に考えることのできる講師を訓練し教育する必要があるのである。

ひいては、理論的に考えることができることで講師の差別化やブランド化が確立できるのではないだろうか。